大阪高等裁判所 昭和59年(ラ)190号 決定
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【判旨】
1 一件記録によれば次の事実を認めることができる。
(一) 堀内家は、古く寛文年間(西暦一六七〇年ころ)から代々尼崎藩の藩医を世襲する家柄であり、明治以後も代々医師を家業とする者が続いたが、その子孫であり医師であつた被相続人堀内九萬里は昭和二七年七月三日に死亡した。
相続人は、妻一江のほか、長男である相手方、二女内田重子、四女である抗告人皆川美路、三男である抗告人堀内洋、四男である抗告人堀内冷、五男である抗告人堀内収の七名であつたが、二女の重子は昭和四六年四月一五日に死亡して、その夫である抗告人内田秋夫、長女の抗告人佐々木素子、二女の内田郁子が相続し、妻の一江は昭和四八年四月七日に死亡した。
(二) 被相続人九萬里に遺言はなく、生前に同人が祖先の祭祀を主宰すべき者を指定することもなかつた。又、堀内家は、前述したとおり代々医師は絶えなかつたし、明治以後旧民法下においては医師である長男が家督相続をして祭祀財産を特権により取得し、当然に祭祀の主宰者となつてきたけれども、現行法の施行後、長男が医師でなくても祭祀主宰者となるのか、長男が医師でない場合、その他の兄弟のうち医師である年長者がそれを主宰するのか、そのいずれでもない場合どのようにして祖先の祭祀を主宰すべき者が定まるのかについての、慣習の存在は明らかではない。
(三) 長男である相手方は、医者になることを好まず、法政大学経済学部卒業後交通公社に就職し、両親に反対された妻をつれて戦前は主に外地で生活し、戦後昭和二一年一一月に明石営業所長となつて明石に赴任したが、その後退職した後も現在まで明石市内において妻と二人で生活している。三人の娘はいずれも嫁ぎ、相手方とは別居している。
被相続人九萬里の二男の保人は大正四年九月二六日に夭逝した。
三男である抗告人堀内洋は、被相続人九萬里から嘱望され、大阪医科大学高等医学専門学校、戸塚の軍医学校を経て医師となり、戦後は肩書住所である西宮市内の被相続人宅に同居して大阪市立北市民病院、同市南保健所等に勤務するかたわら一時右住居に付設の被相続人経営の診療所で夜間診療に当たつて、両親を扶け、被相続人死亡後は右勤務をやめ昭和二八年から跡を継いで同所で堀内医院を開業し、現在に至つている。同居家族は妻と歯科医師の二男であるが、ほかに建設省六甲砂防事務所に勤務し神戸市内に居住する長男がいる。
被相続人及び同人妻一江の葬式の喪主はいずれも抗告人堀内洋がつとめ、その後の法事も同抗告人が主宰した。
四男である抗告人堀内冷は医師であるが、妻と離婚し、西宮市内で単身居住して病院勤務をしており、本件祭祀財産の承継者としては、抗告人堀内洋がよいと述べている。
五男である抗告人堀内収は、戦後大阪専門学校卒業後一時放送局に就職していたが、昭和五〇年以来テレビ局に番組を販売するプロダクションを経営し、妻と、会社員の二子とともに豊中市内に居住している。同抗告人も、祭祀財産は洋が承継することを希望している。
被相続人の長女周子は大正三年八月二九日に、三女甲子は同一三年六月五日に、それぞれ夭逝した。
四女である抗告人皆川美路は、昭和一八年に嫁いだ後一男一女をもうけ現在は調布市に居住しているが、被相続人は明確な祭祀主宰者の指定をしなかつたものの抗告人洋を家業その他一般的な跡継ぎとする意向であつたから、洋が祭祀を主宰するのが望ましい、と述べている。
昭和四六年に死亡した二女重子の夫とその子らである抗告人内田秋夫、同佐々木素子、同内田郁子はいずれも本件につき無関心であり、他の抗告人と相手方が仲直りすることを願つている。
(四) 被相続人九萬里の遺産は、昭和三〇年ころ協議により分割され、妻一江、二女重子、四女美路が抗告人洋のために相続分を放棄し、三男である同抗告人が九萬里の居住していた家屋敷を取得して母一江と従来どおり同居し、同女を生涯世話することとなり、他の相続人らで隣接地を分け合つた。
(五) 堀内家の菩提寺は尼崎市寺町所在の日蓮宗長遠寺であり、二〇〇年以上にわたる堀内家の墓標一三基がその境内の墓地に散在しているが、九萬里死亡後の法事、回向依頼、布施の支払等は主として抗告人洋によつてなされ、壇家名簿上も九萬里から洋に名前が変更され、昭和五五年以降同寺に壇家が支払うこととなつた護持会費(墓地管理料を含む。)も抗告人洋が支払つてきている。
一方、西宮市奥畑に所在する西宮市立満池谷墓地一区一一号五番二四えい地は、昭和四年一二月二三日以来被相続人九萬里が西宮市長の許可を得てその使用権を有することとなり、一三墓の墓標が存したところ、九萬里が死亡して昭和三〇年八月二六日にその遺骨が埋葬されるに当たり、相手方が九萬里の相続人として使用権承継の願い出をし、同日付で西宮市墓地使用券(第一六九一号)の名義書換を受けた。現在右墓地上には、墓石、墓碑一四墓のほか霊標一、灯籠一が存し、九萬里とともに妻一江も埋葬されている。
なお、昭和三〇年当時の西宮市墓地使用条例(昭和三年一〇月一一日条例第一号)によれば、第一条に「墓地ノ使用ハ本市在住ノ戸主又ハ世帯主ヨリ出願シ市長ノ許可ヲ受クベシ、但シ止ムヲ得ザル事情アルトキハ其ノ親族若シクハ縁故者ヨリ出願スルコトヲ得」とあり、第八条に「墓地使用ノ権利ハ相続人之ヲ承継シ他ニ譲渡スルコトヲ得ズ、但シ第一条但書ニ依リ使用ノ権利ヲ得タル者ヨリ死亡者相続人又ハ其ノ親族ニ譲渡スル場合ハ此ノ限リニ在ラズ」とあり、これを受けて当時の同条例施行細則(昭和三年一〇月一一日告示第四五号)第九条は「墓地使用条例第八条ニ依リ墓地使用権ヲ移転セントスル時ハ墓地使用券ニ戸籍謄本又ハ寄留謄本並ビニ其ノ事実ヲ証スルニ足ル書類ヲ添エ承継者若シクハ当事者連署ノ上墓地管理者ヲ経テ市長ニ願出テ之ガ名義書換ヲ受クベシ」と規定していた。
一方、現行の西宮市墓地斎場条例第六条(使用の承継)は、第一項で「墓地の使用は使用許可を受けた者の死亡その他の理由により、当該使用許可を受けた者にかわつて祭祀を主宰する者が市長の承認を得て承継することができる。」と規定し、第二項で「前項の規定により承継を受けようとする者は、原因発生後直ちに市長に申請しなければならない。」と規定し、これを受けて現行の同条例施行規則第九条(使用承継の手続)は「条例第六条の規定により墓地の使用を承継しようとする者は、承継使用申請書に前使用者の使用許可書を添えて市長に提出し使用許可書の書換えを受けなければならない。」と規定している。
(六) 被相続人は、祭祀財産として、前記各墳墓のほか、仏壇、位牌等の祭具、過去帳一帖(元禄年間の先祖堀内伯竹以降のもので、長遠寺の作成にかかるもの。過去帳は祭具そのものではないが、祭祀を取り行うにつき先祖の俗名・戒名・命日などを確認し、法事の日どりの決定等の用に供するものであるから、祭具に準ずるものと解することができる。)及び堀内家世譜を所有し占有していた。右のうち祭具は、被相続人と同居していた抗告人堀内洋がその占有を継承し、これにより先祖の供養を続けている。過去帳は、昭和四八年五月ころ相手方が洋方からこれを持ち出し、現在相手方が保管している。堀内家世譜は、過去帳と同じころ相手方が洋方から借り出して複製した後、相手方は返還したと言い、洋側は返還を受けていないと言い合つて、その所在は明らかではなく、少くとも相手方がこれを所持していることは確認できない。
2 以上の事実関係の下で判断するに、まず、祭祀主宰者について、被相続人の指定もなく、それを定める慣習も明らかとはいえないのであるから、民法第八九七条により、家庭裁判所が祭祀財産承継者を定めることとなる。
この点につき抗告人らは、原審判を非難し、抗告人堀内洋が祭祀主宰者となるべき慣習が定かではないとする根拠はない、と主張するが、その理由のないことは前記のとおりであり、かえつて、右慣習が明らかであれば家庭裁判所は祭祀財産承継者の指定をなし得ず、申立てを却下せざるを得ないのであるから、抗告人らの右主張は背理であつて排斥を免れない。
3 ところで、祭祀財産の承継者を指定するにあたつては、承継者と被相続人との身分関係のほか、過去の生活関係及び生活感情の緊密度、承継者の祭祀主宰の意思や能力、利害関係人の意見等諸般の事情を総合して判断するのが相当であると解されるところ、既に認定したとおり、抗告人洋は、被相続人夫婦と長らく同居してこれを扶け、嘱望されて家業も継ぎ、被相続人の葬儀及びその後の法事も事実上主宰してきたほか、相手方を除く兄弟姉妹からも望まれているというのであるから、被相続人九萬里が有した主文第一項1ないし5記載の各祭祀財産の権利は、抗告人洋が承継すると定めるのが相当である。
そもそも、祭祀主宰者は民法八九七条の趣旨や文言からいつても、本来、一人であるべきものであるし、祭祀財産は祭祀を行うための要具であるから、それが著しく遠隔地にあるとか、歴史的価値が高く祭具本来の意味を失つた場合等の特段の事情がある場合を除き、原則として先祖の祭祀を主宰するのにふさわしい者がその権利を単独で承継すべきものである。
本件の場合右特段の事情は認められないから、被相続人の所有であつた祭祀財産の権利を抗告人洋と相手方とに分属させるのは相当でない。
4 原審判は、満池谷墓地の使用権は既に相手方に帰属しているものと認められるからその承継者を定める申立は理由がない、とする。
しかし、さきに認定したとおり、相手方が昭和三〇年八月二六日に墓地使用券の名義書換を受け得た根拠規定は、旧西宮市墓地使用条例第八条所定の「墓地使用ノ権利ハ相続人之ヲ承継シ」との定めに基づくものと解されるところ、墓地使用権は地上の墓標所有権に付随するもので、墓標の存する限り両者は密接不可欠の関係にあるから、墓地使用権は、祭祀財産たる墳墓と一体視すべきものと解すべく、そうだとすれば、昭和三〇年八月当時においては本件祭祀財産の承継者は未だ定められていなかつたことからして、右名義書換は実体的な権利承継の裏付けのないまま行われた、一時凌ぎのいわば便宜上の措置というほかないものである。したがつて、本件により祭祀財産の承継者が抗告人堀内洋と定められ、それが確定すると、現行の西宮市墓地斎場条例第六条により、同抗告人が満池谷の墓地使用権を承継し、同施行規則第九条により使用許可書(同規則第五条により交付されたもの。旧条例による場合は同条例施行細則第三条により交付された墓地使用券)を西宮市長に提出して書換えを受けることになると思われる。そのためには、墳墓の引渡しに代えて、相手方が所持していると認められる西宮市墓地使用券(第一六九一号)一枚を抗告人堀内洋に引渡すことを命ずるのが相当である。
(村山明雄 堀口武彦 安倍嘉人)